京都に関する歴史を纏めたブログ

京都は794年に平安京として遷都したことから始まる。宮古が移された理由は諸説あり長岡京に怨霊が住み着いている説や、藤原種継の暗殺されたことや、水害に見舞われることが多かった説などであるがはっきりとした理由については未だ解明はされいない。

モデルは唐(現在の中国)の長安や洛陽とされていて「平らかで安らかな都」という意味が込められている。また学生には「794(鳴くよ)うぐいす平安京」という語呂合わせで日本史の暗記に使われるほど有名である。

東西約4.5km、南北約5.3kmの長方形で整然と道が造られている計画都市であった。当時は中国の風水を用いて東西南北に皇居や庁舎などを配置した。

京都は1000年の歴史を持ちいまでも毎年10月22日の平安遷都の日には京都三大祭りの一つである、平安神宮の祭礼、時代祭が取り行われる。

明治28年に始まり平安遷都1100年祭を奉祝する行事として行われ明治勤王隊を先頭に江戸時代、安土桃山時代、室町時代、吉野時代、鎌倉時代、藤原時代、延暦時代までの時代ごとの装飾・衣装を着た総勢約二千人の行列が建礼門前を出発し、堺町御門から市中に出て行き、平安神宮まで巡行する。

1609年の京都の人口は30万人~40万人、江戸の人口は15万人ほどと言われているが1650年には43万人と江戸と同じ人口になり、1750年には江戸の人口増加により大きく引き離されていくこととなり明治維新になり現在に至る。

現在の人口は254万人で全国の人口ランキングでは13位、面積では4,613.26平方km31位、人口密度では10位となっている。さて、いつから京都から東京へと首都が変わったのでしょう。

イメージとしては大政奉還された1867年11月9日に江戸城が開場され天皇が京都から東京へ行幸したこのタイミングだと思われますが実際は明治天皇が1877年に京都御所の保存を命じたこの時からと言われています。

天皇が東京に行ったものですから、天皇に仕えていた商人たちは破産したり東京移住へしたりしました。その結果、京都の人口は3分の2まで激減をしました。

現在でも日本の首都の法的根拠がはっきりしないので「京都が日本の首都のままだ!」と訴える学者もいて、東京から京都に観光で行くと「おのぼりさん?(観光客ですか)」と言われることもしばしばあります。

普通は都市の中心へ行く方向を上り、中心から離れることを下りと言いますが、京都の人には京都こそ都だという思いが強いからこういうこともあるのでしょう。